Mater Admirabilis(感ずべき御母)壁画


ローマのスペイン広場に建つ、フランスゴシック様式が特徴のトリニタ・デイ・モンティ(丘の三位一体)教会。
そこに隣接するトリニタ・デイ・モンティ聖心学院礼拝堂に 『マーテル・アドミラビリス』 の壁画が飾られています。


【行き方】 地下鉄A線「Spagna駅」で降り、すぐ左手のスペイン広場まで徒歩数分。その上に続くトリニタ・デイ・モンティ階段(通称スペイン階段)を頂上まで上ります。道路を渡り、教会の脇にある赤丸の扉を目指します。
ISTITUTO DEL SACRO CUORE TRINITA DEI MONTI(トリニタ・デイ・モンティ聖心学院) という表札のある扉が入り口です。
私立の教育機関ですので入場自由というわけではありませんが、呼び鈴を押し、受付職員に「マーテル・アドミラビリス」の絵を拝見したい旨を伝えれば厚意で入れてもらえます。礼拝堂でミサが執り行われている時には、しばらく待つことも。



回廊に囲まれ命の泉の象徴の井戸を中央に据えた中庭。観光地の喧騒から隔絶された静寂の空間です。
Emmanuel Communityが教会と修道院、学校の建物を管理しており、フランスの雰囲気が漂います。


受付の前を通り抜けるとすぐ左裏手に礼拝堂へ登る階段があります。親切に扉に絵のコピーが貼られています。
日本をはじめ世界の聖心会の関係者が、毎日のように訪ねてくるそうです。
階段の踊り場に掲げられた聖マグダレナ・ソフィア・バラの肖像画。その先にある磔刑像の前を通り礼拝堂に至ります。


礼拝堂の祭壇脇、じゅうたん敷きの床の高さにフレスコ画が飾られています。窓から差し込む春の午後の穏やかな光の中で、若々しく華やかな色彩が印象的です。絵の前に立つと、ショールの縁取りにも繊細な金彩が施されており、全体写真では判らない入念な筆使いがよく見えます。


僕が訪ねた2019年3月8日は、パスカール神父によるフランス語のミサが立てられていました。神父の母上もこの学院の卒業生だったそうです。

女性の祝日ということもあり、絵の足元にミモザの花や祈りのメッセージが捧げられていました。














フレスコ画には描かれた天の父なる星に加え、使徒を表す12個に輝く光の立体レリーフが付加されています。

古典的な左右対称、一点透視法で描かれた構図の床は、聖母の胸にその消失点が集まっています。画家は構図の時から聖母の胸から慈愛の光が放たれるようなイメージをもっていたのでしょう。


フレスコ画を額縁のように囲むニッチ(壁龕)には、金箔の上から筆でマス目を描いてモザイクピースを模した装飾が施されています。天井部分には MATER ADMIRABILIS ORA PRO NOBIS (感嘆すべき母よ 私たちのためにお祈り下さい) という意味のラテン語が書かれています。


「ラテン語の Mater Admirabilis という絵の名称を、翻訳して呼ぶ必要はありません」と現在の学長ドメニク・マリ・ダビド神父は語っていました。

現在、礼拝堂の祭壇側壁にあるこの壁画は、フランスのアンジェ出身の修道女ポーリーヌ・ぺルドロー Pauline Perdrau (1815-1895) によって、1844年7月に、修道院の2階廊下の壁に描かれました。彼女が29歳の頃です。そのためか聖母が若々しい配色で描かれています。

完成した壁画は Mater Admirabilis という名を冠され、時の教皇ピウス9世(右図)によって祝福されました。
この教皇は、「聖母マリアの無原罪の御宿り」の教義を正式に制定した人です。彼はまた日本とも縁が深く、1862年には、日本二十六聖人を列聖しました。

最初に挙げたトリニタ・デイ・モンティ教会の本堂側廊のほうにも Mater Admirabilis の複製画像が掲げられています。
学院礼拝堂に入って来られない方々からのものでしょうか、こちらの足元へも多くの祈りのメッセージが捧げられていました。

1502年フランス王ルイ12世の命によって完成したこの教会の片すみは、1538年秋、パリからローマ教皇にイエズス会公認を求めるために、集まった若きイグナティウス・デ・ロヨラとその同志の修道士たちが再会した出発点でもあります。
       (出典『イエズス会の歴史』中公文庫 ウィリアム・V・バンガート著)

    
    1600年ごろのトリニタ・デイ・モンティ教会