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初めてイタリアに渡ったとき、大学街ピサの歴史地区にある古い学生アパートの屋根裏部屋をアトリエに使い始めました。1996年のことです。
大家のお婆さんに使わせてくれるように無理に頼み込んで、家賃は月7000円で借りました。
100年くらい溜まっていた埃と鳩の糞を掃き出し、床を雑巾で拭くと下から赤レンガ色が見えてきました。
裸電球がぶら下がっているだけの殺風景なスペースでしたがそこでは窓の外に見下ろすアルノ河に落ちる夕陽や、夜は天の河が流れる部屋でした。
寒い冬場はガスストーブを2つ用意してモデルを待ちました。
なにも表現と呼べるものが無い自分に手伝ってくれた学生たちの輝いていた一瞬の人生たちと出会えたあの時代が、僕の彫刻の原点となりました。
今改めてこのページを眺めると、あの頃が随分と遠のいてしまったような気がします。
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ピサのアトリエ(1996)
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ウィーンのモデル(1998)
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ウィーンのアトリエ(1998) |
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